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業務革新(1)
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1 なぜ業務革新か

行政改革の手法は、二つあると思います。

一つは強力なリーダーシップのもとで組織や定員を斧や鉈でばっさりと切る外科的な手法です。

外科的なこの手法は、一部の地方自治体でしか成功していません。

外科的な手法は、外発的な動機によって行われることが多く、地方公営企業の民営化や非権力的な分野の外部委託が終われば改革も一段落してしまう場合が多いからです。手術によって患部を摘出できても、医師(首長)が変われば、時間がたてば、再発することが多いのです。

しっかり監視し続けなければ元に戻ります。

行政改革等の目指すものは、制度そのものよりは、役所の組織風土や既得権益、公務員の特権意識等、改革を妨げている旧弊だと思いますが、これら旧弊の改革を抜きにしては、仮に制度を変えることができても換骨奪胎され、また元に戻り、実質は変わらない結果になる恐れがあります。

もう一つは、役所の仕事の仕方を全面的に見直し変革していく手法です。

これまで役所は、ムダな仕事はない、仕事の仕方に問題はない、という無謬主義を前提にし、仕事の内容や仕方を徹底してチェックするということはあまり行われてきませんでした。

その結果、いまや行政組織は肥大化し、高コストとなり、住民が支えられなくなっています。

そのため、少しでも住民の負担が少なくて済むやり方、即ち、ムダがないか絶えず見直し、最小のコスト、最短の時間で仕事が処理される仕事の仕方、組織の在り方が求められているのです。

これまでの役所の組織や仕事の仕方では最早やっていけないという認識を持ち(意識改革)、絶えず仕事の仕方を改革い続けるやり方、それが業務革新(イノベーション)なのです。

この二つの手法が相まって活用されるのが最も効果が上がると思いますが、いずれにしろ長い間に醸成された役所のDNAを変えなければなりません。

2 まな板の鯉に包丁を突きつける!

物事を決めるとき、行政と民間企業では決定理念に大きな違いがあります。

民間企業では、会社の中で多数意見であっても正論であっても、利益が出ない経営は長くは続きません。

顧客即ちお客様に価値のあるものを提供し、それが支持されて企業が存続するわけですから、会社の中の論理だけではなく顧客の側の視点、顧客にとって価値を生むか、という理念が働きます。

しかし、役所の場合は、新憲法になって、政府は国民の信託によって成立するという考え方に変わっても、役人の意識と役所の組織はあまり変わりませんでした。

地方自治体においては、住民の選挙によって首長は変わっても、役所の組織風土は変わらず、首長はその上に立って行政を行わざるを得ません。

行政の長としては、自分を支える行政基盤自体に疑問を持って見直すということは至難だったのです。

本来ならば、大統領制ですので自らの政策を遂行するための戦略スタッフを率いて乗り込み、執行体制を刷新することができるはずなのですが、地方自治体では、補佐する副知事や副市長等が変わるくらいで、役人は誰も変わらず、役所のDNAは変わることなく来たのです。

しかし、最近、政策の行き詰まりが顕著になってきて、役人の政策立案能力に疑問がもたれるようになりました。

少数の役人が机上で政策立案する従来の方法では、複雑化した住民の要求を満たせなくなっています。

ここにいたってはじめて、役人の政策形成過程を見直さなければ住民のニーズに対応できないという認識が生まれ、そういう住民の声が行政組織の見直しを主張する候補者を首長として選択するようになりました。

長い間、「まな板の鯉に包丁持たせたって切れるわけがない」と言われた行政組織について、切ることを公約した候補者が住民から選ばれ、板前さんとして包丁を振るうようになりました。

板前である首長は、戦略スタッフとともに、強いリーダーシップを持ってまな板の鯉を裁かなければなりません。

一方、職員はどうするでしょうか。

住民の期待を背負った首長から「役所は効率が悪いから組織の大改革をしろ!」、「職員を2割減らせ!」、といわれたらどうするでしょうか。

何から始めるでしょうか。そもそも昨日を否定して今日から動き出せるでしょうか。

役人は、役所がつぶれるとは思っていません。だから改革が急務だとは思いません。仮に変革を求める首長が出てきても、担当部局はそれなりに動きますが、他は慎重に取り組みます。

そのうちに首長も変わるだろうと思っています。

改革を掲げたけど結局あまり変わらなかったという例はいっぱいあります。

行政は複雑多岐にわたります。

首長がスーパーマンであっても一人ではなかなか手が回るはずもありません。

余りに急げば役人からの協力も得られなくなります。

3 揺らぎを与える

それではどうすればよいか。

先ず必要な戦略スタッフをそろえることです。

次は、職員に何を求めるか、です。それは、職員の皆さんに、このままではだめだ、何とかしなければいけないという思いを持ってもらうしかありません。

夕張市みたいになれば職員も考えると思いますが、普段はまあまあ普通にやっていれば給与はもらえると思っていますから、あまり危機感はありません。

そういう時に必要なのは、揺らぎ、を与えることです。

なんでもいいのです。

仕事を真剣にやらなければ給料が出ないかもしれないという危機感を持たせることです。

例えば、住民に対する行政サービスや事業を優先すると予算の大半はそちらに使われ、その結果、職員の人件費に充てる予算は7割しかないとか、半分しかないということを突きつけ、給与を3割減らすとか、どこまで減らせるか考えてくれといえばいいのです。

役所の場合、組織や人員に要する行政経費を先に考えて、残ったお金で事業を実施すると考えがちです。

もともと権力で奪った政権は統治が先にあって、それに必要な経費は強制的に集めたからなのでしょうが、国民の信託によって維持される現代の役所は、住民に対する行政サービスが先にあってしかるべきです。

行政サービスをする予算はないけど職員だけは養うというなら、そういう役所は要らないと住民は言うはずです。

実際、財政が硬直化している市町村では、給与や義務的経費が9割以上も占めて、事業らしい事業ができず、職員を養っているだけとみえるところもあります。

行政サービスを実施するために予算が足りなければどうするか。

給与をカットするのか、人員を減らすのか、行政コストを下げる方法を考えてくれというしかないのです。

4 仕事のやり方を変える、意識を変える

行政改革は、その仕事をどうするか、職員をどうするかを決め、そして最後は率先して取り組む職員を育てなければできません

。仕事のやり方の改革と職員の意識の改革が必要なのです。

それでは、仕事のやり方を変えるとはどういうことでしょうか。それは、前述したようにまず仕事のムダを取って仕事を減らすことから始めることです。

「必要がない仕事なんてない」という職員が多いでしょうが、優先度をつけて3割程度を目安に仕事を純減させる、整理させるように取り組みます。

管理職はどうしても安全策を優先しますから、若い職員にやってもらうのです。職員がこんな仕事はいらないと思っているものは意外とあるものです。

これをやめたら心配だと思う仕事は、問題が出てきたらやる、と管理職が腹を決めればいいのです。

前述した作り過ぎのムダや加工のムダなどの視点で見直してください。

また、前述のように、役所のムダは、手待ちのムダ、運搬のムダなど、業務プロセスに起因しているものが多いのです。

これらを大胆に見直します。ある大手都市銀行で、融資案件の稟議に2か月かかっていたが、電子決裁することによって2週間で処理できるようになったと教えてもらったことがあります。

電子決裁になじむもの、なじまないものがありますが、役所の場合、意思形成過程を除いても50~60%は電子決裁できるものです。

意思形成過程の文書ですら意思決定した後の決裁文書は電子決裁できるので、全体で60~70%は電子決裁できると思います。そうなれば所要時間は大幅に短縮できます。

こうやって30%以上業務が減れば5人の係は4人でやれます。

1人定数を縮減しても誰も困りません。

5 グループ制、フラット化の導入

うちの係の仕事ではない、当課の仕事ではないといった係際、課際の仕事を引き受けない傾向は役所にはよくあります。

問題は、自分の仕事ではないという意識とそれを許す組織風土、上司なのです。

行政に委ねられているすべての仕事がみんなの仕事だ、みんなでやらなければならない、業務分担は一応の目安だ、もし自分の業務分担にないというなら、いますぐ業務分担を変えようか、というくらいの上司でなければ管理職にはふさわしくありません。

係が抱える業務が減ると係を統合できます。例えば小さい係を三つ統合し二つの係にしますと、係長職が3分の1減ります。

国や一部政令市等では、係員が2人とか3人とかいう小さい係が多数あります。

二つないし三つの係を一つにすれば、係長職は2分の1ないしは3分の1になります。

加えて小括りの係制度をやめ、大括りのグループ制に移管すれば、係間の調整といった事務を減らすこともできますし、春から秋にかけて多忙な事務と秋から春にかけて多忙な事務を統合できれば、時季的な繁閑調整もできます。

さらに、2ないし3の係を統括していた課長補佐も、係の数の減少に応じて2分の1ないしは3分の1に減らします。

課長補佐という職は、決裁権を有し意思決定する課長と分掌事務の指揮をする係長の間にあって、役所の中では業務も権限も比較的少なく、課長になるまでの待機ポスト又は課長になれない職員の処遇的なポストが多いのです。

ここも大きく減らすことができます。

さらに、減らした後の課長補佐の決裁権を大幅に拡大し、課長補佐に相当量の専決権を与えると、課長が決裁するものは重要なものに絞られますから、決裁に要する時間は大幅に短縮できます。

それだけではなく、平の職員(地方では主事、国では事務官)から主任、係長、課長補佐、課長、次長、部長、審議官、局長、事務次官など8~10程度あるヒエラルキーをフラット化します。

書類を下から上に上げる中間管理職のチェックがあればその分間違いは減るかもしれないが、中間管理職の数が増えれば増えるほどスピードは当然落ちますし、さらに情報が歪みます。

1段階で10%ずつ情報が歪んだら5段階で55%に歪む恐れがあります。

55%とはいかなくとも関門が増えれば増えるほど時間はかかり、内容が歪む恐れはあるのです。

フラット化とは、部であれば部長以外はみな平社員にするとか、課では課長以外はみな平社員にするというやり方です。これによって、途中の階層の説明等にかける時間を省き、意思決定の迅速化と情報の速報性、正確性などを図ることができるとして、民間では一時期導入する会社が増えました。しかし、技術の伝達などがうまくいかないという欠陥も指摘されていました。岩手県では、過度のフラット化は、先輩からの指導や育成、技術の伝達がないがしろになるということを踏まえて、まず担当課長に数グループの決裁権を与え、総括課長は重要事項と残りの数グループの決裁をすることとしました。グループの中では、総括主任主査がグループを総括し、全体の指導や監督をします。このグループは、2ないし3の係をまとめたものですので、大きな係と考えてもらえばいいでしょう。

これらによって、係際の問題も係間の繁閑調整も、指揮監督する係長が多数いるといった頭でっかちな組織体制も、簡素で効率的な組織に変わることができました。 

繰り返しになりますが、仕事のムダ取りを行い、仕事を減らす。仕事が減れば職員を減らせる。

職員が減れば係や職を削り、組織を減らすことができる。

目に見えるムダを取っていく過程を見せることによって、職員が絶えずムダを取ろうとする。

そうなれば、また仕事の仕方も変わる。

職員の意識改革も進む。職員の意識改革が進めば、あとは職員が自ら改革に取り組み、視えないむだまでとろうとする。

さらに政策立案の仕方や情報の取り方などあらゆる分野にわたって仕組み(システム)の再構築を図ろうという取組みが出てくる。

仕事のやり方を変える、意識を変えるというのは、そういうことです。

自分たち公務員が、国民・住民の負担に依って存在しているのだと認識するようになれば、その負担を減らすことは仕事の一つだと思うようになります。

改革が、国民・住民の負担で雇われている自分たち公務員の仕事の一つだと思うようになれば、改革は、首長が代わっても止まることなく続くと思います。

内発的動機に基づく行政改革即ち業務革新が必要だという理由はまさにそこにあります。

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