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災害対策は役に立つか(3)
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10 広域での救援・支援体制の確立―旅館、ホテルの活用

(1) 避難方法、救援方法の検討

 

 地震や津波などの災害があった場合、被災者は体育館などの第1次避難所に避難し、余震等がおさまるまで過ごすことになります。

家屋等が被害にあって危険な場合は、避難する住宅が確保されるまでの間、避難所で過ごします。

その間、現地では余震などがあって、そのたびに恐怖にさらされます。

また、避難所の中では、他人との共同生活のため十分には休養できないことも多く、さらに、寒冷地では寒さの問題があります。

これらのことを踏まえると、まず、第1に、この避難所での生活をもっと負担の少ないものにする必要があります。

第2に、家屋が倒壊、流出等して、すぐには自宅等に戻れない方については、避難所生活からさらに仮設住宅等に移ってもらうのがこれまでの災害時の対応です。

これは結構長期間になります。

またプレハブ等で仮設住宅をつくっても、やがてはそれを解体しなければなりません。

この長期間の避難所生活は、本人の負担に加え、避難所を維持、支援する人たちの負担にもなります。

さらに、仮設住宅は作っても後々は壊します。

仮設住宅を作らないで済むなら、この費用をもっと被災者の救援のために有効に活用することができます。

第3に、現地では、被災者を救援する市町村や県の職員もまた被災者です。

職務を全うしなければなりませんが、家族も守らなければなりません。

それゆえ、家族が避難所にいる場合や職員も避難所にいる場合、職員は家族の心配をしながら、十分な休養をとれないまま救援活動に参加しなければなりません。

被災者が被災者を救援する、面倒を見るという形より、被害を受けていない者が被災者を救援する、面倒を見るという形の方が安心であり、効率的です。

即ち、被害を受けた地域と被害を受けていない地域が協力し合って、危機を乗り切るという方法をもっと模索すべきなのです。

(2)  避難、救援への広域的な対応

これらの課題を解決するためには、市町村間で災害時の避難支援協定を結ぶことです。

 まず、第1に、地震や津波にあった場合、家屋が倒壊、流出した被災者については地域ごと、道路網の安全が確保され次第、地震被害の軽い地区に避難させます。

無論、本人、家族の承諾を得てですが、これは、普段から、そういう避難の方法をとることを住民・地域に周知し、理解してもらっておく必要があります。

これらの被災者は、住宅の確保まで時間がかかること、そのため避難所生活が長期に及ぶことが予想されるためです。

特に、高齢者の場合、地震、津波のショックに加え、余震等の続く中で体育館等での避難生活は、食事や睡眠なども十分にはとれず、行政やボラテイアなどが医療や食事、入浴などの世話を充実させても、肉体的精神的負担は増えていくと思われます。

それゆえ現地の避難所は、できるだけやむを得ない期間やむを得ない被災者の避難に使うこととします。

なぜなら、被災者を支援する現地の市町村職員、スタッフなども被災者だからです。この負担をできるだけ軽減し、復旧に当たってもらうためでもあるのです。

そのためには、どこの市町村の被災者はどこの市町村が引き受けるということを普段から決めておき、民宿、旅館等の環境衛生同業組合とも、収容人員も決めておくことが重要です。

 (3) 広域的な対応のメリット

例えば岩手県の場合、沿岸部が津波に襲われたならば、内陸部の市町村に避難させるのです。

同様に、県南部が地震の被害にあったら、50キロ程度離れた県央部の、車で1時間程度の市町村で被害があまりない所に避難させます。

 これは、耐震性の低い建物に大きな被害をもたらす震度6弱以上の地震があっても、50キロ程度離れた場所では、震度は下がり、被害の程度も減少するからです。

 この方法のメリットを整理すると、

 ①遠隔地に避難した被災者は、余震、余波などから隔離され、精神的、肉体的に、安心できる避難生活ができる。

 ②現地で救援に当たる側は、被災者の心配や、避難所の支援に忙殺されることなく、災害復旧に専念できる。

 ③遠隔地に避難した被災者の救援には、当該市町村の保健福祉部門の職員や県の職員が当たる。これらの職員は、被災していないため、普段どおりの活動が十分にできる。

 ④遠隔地に避難させる場合、学校体育館等ではなく、民宿、旅館などに避難収容する。

食事から入浴まで民宿等でやってもらうため、生活は、普通に旅行した場合と変わらない形になる。

県や市町村の職員の世話も、現地ならば食事の炊き出し、入浴の確保、トイレの設置などの避難所での生活の維持だが、遠隔地の民宿、旅館等では、健康管理等の本来の世話ができる。

生活一切の世話をしなければならない被災地の救援の仕方に比べ、人員も少なくて済み、手厚い救援ができる。

 ⑤隔地で避難生活の維持についても、日常生活に使うもの等については、当該市町村で普通に買い物をしてもらえばよい。

購入券を渡して購入してもらい、後から災害義捐金等で精算する仕組みとする。

つまり、被災地の体育館等での生活では、行政やボランテイアなどにその生活を頼ることになるが、この方式では、生活に必要なものは自ら調達し(衣)、食事や入浴など(食住)は、民宿や旅館など既に有る物的人的施設を活用する。

災害時一回のために空調設備や入浴設備、さらには給食等のための人的物的設備などに時間をかけて新たに設置するよりも、既にあるものを活用した方が迅速、効率的かつ安価である。

 また、地震や津波の被害が出た場合、観光客の客足は1年程度遠のくことが多く、民宿や旅館などは大きな影響を受ける。

観光客に戻ってもらうために行政や業界はいろいろ取り組むが、復活するまでには時間がかかる。

その間民宿や旅館は閑古鳥が鳴くことになる。

その民宿や旅館が、社会貢献の一環として、被災者を引き受け、災害救援の一翼を担ってもらえれば、被災地に集中している救援活動が広い地域での助け合いとなり、被災地の負担が減少する。

併せて被災地以外の市町村や県の職員が、避難者の世話をしてもらえれば、現地の救援活動は災害復旧の方に注力できることなる。

 以上のように、普段から、市町村及び関係する環境衛生同業組合とで、被災者の避難方法、収容方法、市町村の支援内容、員数、費用、日常生活に必要なものの購入券の発行方法等、救援を助け合う仕組みを作っておくことが重要だと思います。

11 防災対策の再検討

 雨が降るとわかっていれば傘を持って出かけます。

 降るかどうかわからないときはどうしますか。

地震に対する備えはどうでしょう?いつ来るかわからないけど訓練はやっているという状況でしょうか。問題は、その訓練が役に立つかどうかです。

 傘でなければなりません。

 雨なら濡れたで済むかもしれませんが、大地震や津波は、それでは済みません。

 海外での津波の映像を御覧になったことがあるかと思いますが、数メートルもの大きな波は、船、家、車、みな流してしまいます。

 そして浮いているものすべてを沖に連れ去ってしまいます。

 日本は、地震の多い国です。

 いつ来るかわかりません。

 しかし、間違いなく、近い将来大地震が来る、大津波も来るというならば、それに対する備えは、確実にやっておかなければなりません。

 地震に対する備えが必要なことは誰もがわかっています。しかし、これまで述べたように、地震があったときに、新潟中越でも岩手宮城内陸でも、対応は混乱しました。その教訓が共有され、対策が強化されているでしょうか。

 地震は突発的に起こるかもしれませんが、その備えは、用意周到にできるはずです。

地震が来たときに、誰が何をするか、までの訓練はしているのですが、その次の、その職員が欠けたとき、機器が故障したとき、どういう代替策を講じておくか。

被災地ではどうするか。被災地以外ではどういう救援策を組むか。

普段からあらゆる事態をシュミレーションして訓練できるはずです。

そういうと、「やっている。防災の日には訓練をして・・・」といわれるかもしれませんが、マニュアルどおりにやっていれば足りるでしょうか。

やっている、とか、訓練はしていた、というアリバイなど、被災した時には何になるでしょう。

いざというときに役に立たなければ何にもなりません。

地震対策は役所仕事ではだめなのです。

防災に関するすべての仕組みを見直し、再構築する必要があるかもしれません。地震の被害も津波の被害も、場所場所で様々だと思います。

それゆえ、それぞれの県や市町村が、その地域の特性に合わせて最も適した防災対策を講ずる必要があると思います。

 前述したとおり、行政の施策は長い間評価されて来ませんでした。

50点、70点、90点の施策があったとして、そのときの上司が50点の施策でいくと決めればそれでやってしまいます。

その効果がまったく出なくても、施策を決めた役人はすぐに替わりますから責任を負わず、任命した首長が政治的な責任を負うということで済まされてきたのです。

施策の多くは、住民の生命財産に直接影響するものではないので、一つひとつの責任は明らかにされることなく、首長が政治的な責任を取るということで足りたのかもしれませんが、しかし、地震や津波では、多くの住民の生命財産が危険にさらされます。

一つの施策をとっていなかったばかりに、多くの人命財産が奪われることになりかねません。

それゆえ、50点の施策を選択するか90点の施策を選択するかは政策判断だなどといっていられないのです。われわれ行政が行わなければならない訓練とは、生命・財産がかかった緊急のときに機能するための訓練なのです。

緊急時の4日間96時間、担当者が欠け、機器が故障し、道路が寸断された等の想定のもとで、誰が代わりを務めるか、故障した機器の代用をどうするか、寸断された道路をどうするか、支援に入ってくる救援チーム、医療チームやボランテイア、救援物資への対応などをどうするか、これらの役割を4日間どういうチームで回すか、そういう具体的な役割を決めておくべきです。

 やれることはすべてベストにやっておかなければならないのです。

ダブルミッション、災害時緊急医薬情報、旅館民宿等の活用策や市町村間の連携による広域支援体制の構築など、やるべきことはまだまだあります。

それをやるのが防災対策です。

いざ災害が発生したら役に立たなかったでは済みません。

今一度、各自治体では、災害時の対策は十分かどうか検証してみていただければと思います。

追記―東日本大震災と大津波
1 現実

 2011年3月11日午後2時46分東日本大震災が襲った。

県庁舎では、あまりの揺れに職員が机にしがみついたり、机の下に潜るなど動けない状況であった。

それは1968年の十勝沖地震を経験している筆者にとっても、比べようもなく強く長い地震であった。

これは津波が来る、それも明治三陸大地震や昭和三陸大地震のような大きな津波になりかねない、そういう不安が頭をよぎった。

テレビは、大津波警報が出され3mの津波と言っている。

本当に3m程度なら防潮堤で防げるが?。

 

それから30分ほどして、釜石のカメラは、津波の押し寄せる映像を写し出した。

釜石湾の奥の方から白い波が立つ。

波が轟々と押し寄せている。

先端では、車がまるでおもちゃのように押し流されていく。

海が逆流し昇っていくようだ。国道の陸橋の上では人が動いている。

「早く逃げろ!」職員がテレビに向かってどなる。

先ほどまで何メートルも下にあった水面がもう橋上に迫っている。

国道の向こうもこちらももう水に浸かっている。

「何してるんだ!早く逃げろ!」誰かが絶叫する。

画面が変わる。

 

宮古湾に押し寄せる膨れ上がったような海水は、漁港の建物や施設を押し流し、漁具や浮き輪が流れていく。

もう屋根しか見えない。

閉伊川を遡って来る真っ黒い塊は、船を押し上げ、堤防を越えた。

あっという間に4、5メートルはある道路案内の高さまで達した。

宮古市役所の方にも流れ込んでいる。

市役所はもう1、2階はだめだろう。市役所には多くの友人がいる。

逃げてくれ!早く逃げてくれ!

 

これほどの津波が現実に来ているということ自体が信じられなかった。10数メートルの津波だとすると、海に面したほとんどの町々は被災している。

最悪だ。チリ地震津波の比ではない。

明治三陸や昭和三陸の大津波の規模かと思われた。

職場にも、実家が沿岸部の職員が数名いた。

誰も何も言わない。

でも、早く避難して欲しい、命だけは助かってほしい、みんながそういう思いだけであった。

 

泣きはらした顔で連日深夜まで待機してくれた職員の実家が心配された。

5日後やっと連絡がつき、実家は流されたが幸い親兄弟は無事だという知らせが舞い込んだ。

みんなが歓声を上げ、そしてみんながもらい泣きしてしまった。

2 救援活動

 最初の問題は、現地との連絡であった。

停電、冠水、流出のため通信手段がきわめて限定され、現地の状況が把握できない。どこがどの程度被災し、何が必要か、断片的にしか情報が入らない。

市町村との連絡もつかない。

通信手段が断たれて連絡ができないのだと思っていた。まさか市町村役場が流され、全く機能を失っているとは夢にも思わずにいた。

各地区も通信手段を失い孤立していた。

救援を求めるために市町村役場に向かおうとしても道路は遮断され、歩いていくしかなかった。しかし、そういう状況もわかっていなかった。

テレビでは、真っ暗な中で燃え続ける被災地が映し出される。

「そんなヘリコプターがあるなら救援に使え」と職員がどなっていた。

しかし、燃えさかる中で、住民の方々はどうしたのか、避難できたのか、どこにいて何をしているのか、どういう状況なのか全くわからなかった。

 

翌日、ヘリの空撮によって、被災状況が伝えられる。陸前高田市の街がない。

あの高田松原の松林が写っていない。

ヘリからは、大船渡、釜石、大槌、山田と次々に映像が流されるが、流されて街並みのない映像や、まだ燃え続けて焦土と化しつつある映像には、ただただ涙が出続けるだけであった。

この段階になって初めて市役所も役場も流され、建物の残骸だけが写っていることに気付いた。恐れていたことが起こっていたのである。

災害時に通信手段を失ってしまった。

救援活動の中心となる現地の市町村役場の機能まで失われてしまった。

そのため、救出を求める情報、救援を求める情報何もかもが錯綜していた。

 

さらに救援活動のために必要な停電の回復や通信手段の確保が進まない。電力会社の復旧工事車両に優先的にガソリンを給油してもらおうとしても誰も仕切れない。

炊き出しの食料や水を運ぶ車両も次々にガソリンが無くなる。

沿岸市町村の多くのガソリンスタンドが被災し流された。

かろうじて免れたところも停電のためガソリンが汲み上げられない。

手巻きでクランクを回し続け給油し続けた。

やがて売るガソリンもなくなってしまった。

 

3日目(13日日曜日)になると、救援物資が続々と到着した。

広大な面積のアピオ(岩手産業文化センター)に次々と運び込まれた。

被災した沿岸各地からは食料、水、毛布、医薬品等あらゆる不足品を緊急に送ってくれと要請が来る。

しかし、荷物の仕分けが間に合わない。

荷物を送る手段もあまりにも少ない。

現地には、どこに、どれだけの人が避難しているのかもわからない。

次々と救援物資の督促が来る。

物資の仕分けがいよいよ間にあわず、手すきの職員を動員して手作業で荷物の仕分けを始めた。しかし困難を極めた。

荷物の内容が分からない。一つ一つ開封し、確認せざるを得ない。食料関係は、賞味期限が迫っているものもある。

災害時の救援物資はありがたいものだが、その一方で大量の人手を取ると救援活動に支障をきたす。

過去の教訓から、救援物資対策が必要だと言ってきたが・・・。

 

ガソリンなどの油対策のため専任チームも編成された。現地での活動も物資の輸送も、ガソリンがなくて動けない。

どこどこにガソリンをくれという要求が次々とくる。現場、市町村、病院・・・。

この頃になって各避難所の状況が分かってきた。

陸前高田市、大船渡市、釜石市・・、全体で避難者4万人余!食料、水、毛布、衣類、あらゆるものの要求が殺到してくる。

この避難している人々をどうやってサポートするのか。

 

いくつかの市町村では役場自体が被災し、市町村の機能が失われている。

災害復旧の中枢、救援の核が喪失しているのだ。

混乱しておりボランテイアもまだ現地には入れない。

現地で炊き出しを行い被災者を支えているのは近隣の市町村だ。

被災した市町村から支援要請が来なくても、自らの判断で支援部隊を送り救援活動を行っていたのである。

そして県に対して情報を提供し、救援の要請を行ってきたのもこれらの市町村からだった。

3 移送

 しかし、大量の避難者を避難所で面倒を見るのは無理がある。

3月とはいえ、氷点下の気温である。余震も続く。

第1次避難所では十分に救援できない。

少しでも多くの人を、一刻も早く内陸部の安全な、人的物的支援がより可能な所へ移送した方がよい。

それは以前総務部長から指示されていたはずだが・・・。

 

 そこで、旧知の放送局、新聞社の記者の方々にお願いをした。

現在避難者は4万人余りいる。

ほとんどが体育館などの第1次避難所にいる。

しかし、海水をかぶった人や老人、病人等は、この寒さでは長期滞在は無理だ。現地では、被災者が被災者を支えなければならない。

それは非常に困難である。

まだ混乱していてボランテイアが通うことも宿泊場所も確保できない状況では多くを期待することはできない。

何とか内陸部の安全な場所へ移送したほうがよい。

震災被害の少ない内陸部の旅館など既存施設に収容できれば人的物的に新たに用意する時間と手間がいらない。

一刻を争う。迅速な対応が必要だ。

内陸部の市町村や温泉組合などの協力が不可欠だ。以前協力すると聞いていた。また、第1次避難所の次は仮設住宅であるが、平場の土地が少ない三陸の市町村では、そこに仮設住宅を建てたなら将来復興住宅を建てる場所が少なくなる。

仮設住宅の建設に時間を要し、その後に復興住宅の用地選定となればものすごく時間がかかる。それを避けるためにもできるだけ内陸部の旅館等既存施設を活用し、避難させてもらうことが必要だ。

その旨記事にしてもらえないかと。

3日目には放送局がその必要性を取り上げてくれ、その後新聞も次々と書いてくれた。

 

また、内閣府にも人づてにその必要性を訴えた。

観光庁は本来の仕事ではないがと言いながらも、宮城や福島原発の爆発によって多数の避難者が出た際には、ホテル等を避難先として確保していった。

4 悔い

 震災から3週間の混乱はすさまじいものであった。職員はやれることはやった。その労苦は表現できない。

あとから考えるとこうすればというものもあるかもしれないが、その時々の行動は批判などできるものではないし、すべきでもない。

本当に精一杯やったと思う。

しかし、悔しい。

 

 地震と津波の被害は避けられなかった。

被災後もそれぞれが出来ることを一生懸命やったと思う。

それは大変なことだったと思う。

被災時の検証は、時期が来たらそれぞれがやればよい。

 

 しかし、今後のためには、被災前のことが重要だ。

それを伝えて他の地方自治体の仕事の仕方の再構築に生かさなければならない。

また、他の自治体は、これから来るかもしれない東京直下地震、東南海地震等に向けて、必要なことは必ずやらなければ手酷い目に遭うと思って、徹底したベンチマーキングを行ってほしい。

 

 災害が襲う前の準備、訓練、それらによって、局面は大きく変わる。

そのために、今後のためには「~たら、~れば」を残さなければならない。

 

 新潟中越地震を経験し、災害対策本部が被災した場合にはどうすべきか、職員が欠けた場合に備えてどうすべきか、総務部長はWミッションを指示していた。

総務部では防災室がやられても部内の職員で対応できるようにWミッションを具体化した。

にもかかわらず、他部局では十分に取り組んでいたのだろうか。

 

 物資の仕分けも輸送も、人員がかかることはわかっていた。

だからWミッションを与え、普段から担当者を決めて訓練しておかなければならなかった。

 

 物資を送ってもらう際に、必要な物資、内容の表示方法など、事前のアナウンスメントをしておかなければ、緊急時に物資の仕分けに時間と人員を取られるとわかっていたはずだ。

 

 岩手宮城内陸地震の際、携帯電話がつながらないとわかった。

あの時に衛星電話に切り替えていたら、この大震災の際、現地の状況が3日もわからないということはなかったのではないか。

切り替えるべきだと言ったあのとき、携帯には1セット11万円もかかるんですよと言った担当者は、どう思っているのだろうか。

震災後3日目になって、衛星携帯がなければ救援活動にならないといって配布を決めるなんて・・・・。

 

 被災者を内陸部に移送する案について、ホテルの経営者であった県議会副議長や環境衛生同業組合は協力をすると言ってくれていた。

そして、早く案をまとめるよう言われたと聞いた。

総務省に戻った元総務部長からも早くやるように電話まで来ていたのに・・・。

市町村にも住民にも周知できていたら、震災後に、被災者から避難を希望するかどうかアンケートとるようなことにはならなかった。

地域ごとにまとまって避難もできた。

被災者の負担はもっと軽減できたはずだ。

 

 3か月後、6月になって被災者が避難先の内陸部の旅館から故郷に帰るとき、「本当に申し訳ない気がします。

よくしてもらって。皆さんが必死になって復旧に努めているときに、何も苦労せず、旅館にいて申し訳ない。」と担当者に言った。

また、旅館の女将からは、「『本当にありがとうございました』って泣いて帰られたときには、いいことしたんだなって、こっちまで泣いてしまいましたよ。

もっといっぱいの人を助けてあげたかったなと思いました。」といわれた。

被災者の方々が、申し訳ないと思う気持ちもわかるが、そうではない。被災者の方々の心労や疲労は少ないほどよいのだ。

ましてや、被災していない内陸部の人にお世話いただき健康を維持してもらった方が、現地は復旧に当たれる。より専念できる。

被災者が全員現地にいたら、それをお世話するために現地のスタッフが多数必要になる。

仮設住宅ができるまで、いや復興住宅ができるまで、他の市町村の方々に面倒を見てもらえれば、被災者の負担を軽減できるだけではなく、現地の復旧を手助けすることにもなる。内陸部の方々にはご面倒をおかけしたが、皆さん快く引き受けてくれた。

 

 仮設住宅がほぼ完成したのは7月から8月であった。

被災から4か月かかっている。

それから1年、真夏の猛暑に耐え、水道管を凍らす極寒の冬に耐えても復興住宅はまだ1戸もできていない。

無論一つずつやっていっての結果ゆえ、御批判もあるかもしれないが、みんな一生懸命やった結果ゆえ御理解いただきたい。

 

 しかし、災害時には第一次避難所、そして仮設住宅という発想は見直すべきだ。第一次避難所は洪水とか土砂災害とか差し迫った危難を避けるために避難するものであって、そこに4か月も5か月も長期滞在することを前提としているものではない。

停電のため暖房もなく、大人数のため睡眠や休息も十分取れないことが多いのだ。

災害の程度から、仮設住宅等の建設まで長期間の滞在が予想されるなら、温泉旅館等の既存の施設を活用することによってできるだけ早く避難させる方がよい。

そしてその避難の方法も集落に周知しておくことが必要だ。

そうできれば、仮設住宅の建設数は限定されたものとなって、むしろ、仮設住宅を飛ばして、復興住宅の建設にもっと早く取り組むこともできるのではなかろうか。

5 事前の再検証の必要性

 今後、東京直下地震や東南海地震による津波の予想があるが、筆者が描いた地震対策は、東日本大震災のような大きいものではなく、新潟中越地震や三陸大津波などを想定したものであった。

それゆえ、人口が数百万人というような大きな都市では別の発想が必要だと思う。しかし、千葉県、神奈川県、静岡県、愛知県、三重県、和歌山県、徳島県、高知県、香川県などの沿岸部の市町村が、大きな地震、津波を想定した場合、それらに対する対策が十分なされているかという事前の検証に少しは役立てることができるのではないかと思う。

 

重ねて述べるが、危難に対する二重三重の備え、Wミッションによる職員の訓練、情報通信手段・機器の確保(これは、集落と市町村役場、県などの間で絶対に確保しておく必要がある。

価格の問題ではない。)、地域住民への避難方法等の周知、住民医療情報等の収集、物資の処理搬送体制の確立、緊急物資の情報提供方法など、ぜひ御検討いただきたい。また、広域的な取り組みとして、被災自治体が機能を失った場合の他市町村の支援体制や、他市町村の温泉旅館等既存の宿泊施設の活用などを準備していただきたい。

 

 そうできれば、被災者が被災者の世話をする負担も軽減でき、より復旧に専念でき、一刻も早い復興につながるものと思う。

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